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2011年12月

いま、ここ、なんです

患者であるわたしは、主治医の一言にうろたえたり、舞いあがったり、さながらジェットコースターに乗った気分で、日々を過ごさないといけないこともある。

年明けに、治療目的の入院が決まり、何をするかの方向性が決まり、

主治医とはそれにむけての話をしんみりできて、ようやくひと心地でき、穏やかな気持ちで年越し、新年も迎えられそうだ。

そんなんで、思い返してみても、わたしの場合、とっくに死んでてもおかしくない状態が何度かあったので、まったくもって、

いまここに生きてることが、奇跡。なのだなあ、と思う次第。

いまは右腕がまったく動かなくなってしまって、左手だけでキーボードを打っているのだけど、正直むっちゃ大変。ユニバーサルデザインの観点からもアイフォーンのほうがはるかにすぐれている。

・・・・・・・

興味本位でブログをチェックすると、わたしと似たような状況の患者さんが闘病記を綴っておられるのもあるし、中には既にお亡くなりになっていて、ご家族がたまに更新しているのもある。

それで本を出した人もあり、「ネタになるんだ、ふううん」と思ったり。たぶん、わたしもそれをしたら、アクセス数ものびるだろう。

アクセス数が増えるのって、まあ、ちょっとはうれしいだろうけど、それでわたしの病気がよくなるわけでもないし、たいして役に立たない気がするので、

わたしはしたくないなと、思っている。

なぜか。わたしは自分の病状を客観視したくないんだと思う。

実は、これまでも医者でも予測できない状況が何度もあって、

で、その都度「あ、こうなりましたね、じゃあこうしましょう」的な治療をやっているときに、

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やっぱりコワイ

NHKBSのアーカイブスの番組で、チェルノブイリのドキュメンタリーをやっていた。

「ロシア・小さき人々の記憶」。

スベトラーナ・アレクシェービッチさんが各地を訪ねるというものだ。

とびとびにしか見れなくて、でも相当質がいいのはわかったので、録画しなかったのを後悔したんだけど、かわりに彼女が出した本の方は即座に注文してしまった。

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岩波書店『チェルノブイリの祈り 未来の物語』 スベトラーナ・アレクシェービッチ

番組でも紹介されていた、発電所の消火にあたって被曝した消防士の妻の証言が冒頭に掲載されていた。

何が起きたか十分な説明も受けなかったし、わかったところで、では言うとおり夫の看護を他人に任せて死にゆく夫を遠くから見守って、被爆しないようにしたのかどうか・・・・

妊娠中だった彼女は女の子を産むが出産の4時間後に死亡。

消防士たちの看護にあたった看護師たちは全員死亡。

夫の遺体は放射能が強いので特殊な方法で埋葬される。彼らはもはや家族のものではなく、国家的な人物で、国家のもの、だと説明を受けた。

スベトラーナさんは次のように記す。

なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない。

私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。

なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。

感覚の新しい歴史が始まったのです。(P31)

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日常の奇跡

チベット仏教に興味があって、そのご縁でよくチェックさせてもらっている早稲田大学のいしはま先生のブログ。http://shirayuki.blog51.fc2.com/

いつも楽しく、興味深く読ませていただいています。

今日、紹介されていた「日常の奇跡」、こちらにも載せたいと思います。

生きていること、それ自体が奇跡なのよ。

そうだね、それで十分。

Ordinary Miracle Sarah McLachlan
日常の奇跡 サラ・マクラクラン

It's not that unusual When everything is beautiful
すべてのものが美しい時、それは何の不思議もないわ

It's just another Ordinairy miracle today 
それもまた今日おきている、日常の奇跡


The sky knows when it's time to snow 空はいつ雪を降らすか知っている
Don't need to teach a seed to grow 種は教わらずとも育つ
It's just another それもまた今日起きている
Ordinairy miracle today 日常の奇跡

Life is like a gift, they say Wrapped up for you everyday
人生は天からのあなたのために毎日とどけられる贈り物。
Open up, and find a way To give some of your own
あなた自身の持てるものを〔世界に〕捧げるべく、それを開けて、道をみつけて
 
Isn't remarkable? すばらしいと思わない?
Like everytime a raindrop falls 雨は降ってくる
It's just another Ordinairy miracle todayこれもまた今日起きている日常の奇跡

The birds in winter have their fling 冬の鳥はいろいろなところに散っているけど
And always make it back by spring 春になったら故郷に戻る
It's just another Ordinary Miracle それもまた今日起きている、日常の奇跡
Ordinairy miracle today

When you wake up everyday あなたが毎日目を覚ます時
Please don't throw your dreams away 夢を捨てないで
Hold them close to your heart それを心臓の近くにしっかり抱いていて
'Cause we are all a part なぜならわれわれはつながっているから

Of the ordinairy miracle 日常の奇跡で

Ordinairy miracle 日常の奇跡で

Do you want to see a miracle あなたは奇跡が見たい?

It seems so exceptional That things just turn out after all物事はすべてなるようになる、それは特別なことじゃない
It's just another Ordinairy miracle today それもまたもう1つの日常の奇跡

The sun comes out and shines some bright 太陽が昇り、光があふれ
And disappears again at night その光もまた夜には消えていく
It's just another これもまたもう1つの
Ordinairy miracle today 今日起きている日常の奇跡 

It's just another
Ordinairy miracle today

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医療と介護はなぜ当事者不在なのか

高齢者介護や医療の報道を見ていていつも違和感を感じるのは、話し合いの場に「当事者がいない」ことだ。

例えば昨日のニュース9では、一人のお年寄りについてのケア計画を、病院の会議室で関係者が集まってたてていたが、医療と介護が同じテーブルにつくのも画期的ということだったけど、

当然ながら、ベッドから一歩も動けないであろうケアを受ける本人はそこにはいなかった。家族はいたけど。

以前、介護運動の活動をされていた人に話を聴いたとき、「当事者って誰ですか?」と聞くと、

「家族(介護を担う嫁)」と教えてくれた。

運動するにはシンプルが一番だから、家族が本人の代弁をしてくれるでしょうね、ってことで、まあいいかとは思ったけれど、

違和感はつきまとったし、運動をしている人たちは「変だ」と思わないんだろうか?

そのことが不思議だった。

医療のチームでも治療とリハビリでは視点がまるで違う。専門家は自分の立場を主張するので、いっぱいいっぱいだ。

でも、昨日のケア会議一つでもそうだけど、会議で出されるベストの選択が、本人の希望するベストかどうかは分からない。

本人は明日にでも楽になりたいのかもしれないよ。

寝たきりになりそうな人でも、一日数回のリハビリをすれば、動かせるって話なんだろうと思うのだけど、

そういうことをずっとしていると、たぶんなかなか死ねないだろうなあーと思った。

なかなか死なないのは、本人の意志なんだろうか。

自分はこういうふうに死んでいきたいという希望を聴くことはあったんだろうか。

見てると、みんなよかれと思ってやっているだけに、難しいなと思った。

今、たまたまチベット仏教の本を読んでいるだけに、日本や西欧文明が当たり前と思ってきた、

死を見てみないようにして先送りして、生きることに執着する生き方ってどうなんでしょう?

と、つくづく思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

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仏性

実家からカニが届きました。セイコガニです。

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ミソがおいしいのが特徴です。夫は甲羅に日本酒を注いでいただきました。

ありがとうございます。

・・・・・・

完全に仕事を辞めて静養するようになって1年近くになるのだけど、気にかけて来てくださる方がいる。

仕事の打ち合わせって、ギブアンドテイクで、あげるからもらうの関係で、
わたしたちはその暗黙のルールのうちに人間関係を構築してるんだけど、

今のわたしには、あげられるものがない。

仕事だとそれで関係が断たれてしまう。

一方、わたしには何もないと、そんなこと、百も承知で、いろんなものを携えて来てくれる友人たちがいる。

そして、豊かな会話とともに居心地のいい時間を過ごす。

忙しいのに時間をつくって来てくれる人と、「行きますね」と言ったきりの人。

別にいいんだけど(笑)。まあ、人にはいろいろいるってことなんだね。

来てくれる人を見てはよく来てくれるなあと、つくづく感心し、感謝している。

自分にそんな徳があるとは思えないので、この人たち“仏性”が宿っているんだなあと、思っている。

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3.11クライシス

先週、アクセス数が異常に伸びた日があって、「いったいなぜ?」「不気味だ」と、戸惑っていたのだけど、ちょうどブータン仏教について結構真面目に書いたあとだったので、そのせいかな?と、思っていた。

http://diary-sereno.cocolog-nifty.com/diary/2011/11/post-65ea.html

そのうち息子からメールがあり、「権丈先生が紹介してくれたからじゃないの?」と教えてくれた。

「えええ?」と思い、あわてて確認してみたら、あった。ひひぇ~sweat02

http://kenjoh.com/

で、権丈先生のHPからやってきたみなさんが読まれたのが、わたしの「野田総理は人として最低だ」と、悪態の限りをつくして書いた文章であった…。参りました。

権丈先生の知り合いにこんな行儀の悪い人がいるなんてってびっくりされた方もいらしたことだろう。

それにしても。

いったい誰が権丈先生に伝えてくれたのかな?読んでくださってありがとうです。

息子は権丈先生のHPをチェックしておるのだな(よしよし)。わたしのカスのようなブログより、100倍役に立つわん。それと、濱ちゃんのブログはぜひチェックだ。

今日から就活。きっちりと社会の荒波にもまれてほしい。

キミのお父さんとお母さんはホイチョイプロダクション育ちで、内定をもらった会社(息子が言うには今一番入りにくい会社なんだって)に、クリスマス会を開いてもらったり、研修と称して温泉旅行に連れて行ってもらったので、

息子になんのアドバイスもできません。

でもね。

幼稚園の入園申し込みみたく、前日から並ぶような人や、椅子取り合戦や早い者勝ちでまっさきに席を取るような人を、企業は望んでいるんだろうか?

学生時代から企業受けするような、無駄のないアクションを起こすタイプのにーちゃんもいるだろうけど、

わたしは、学生らしく自分のテーマをみつけてちゃんと研究をした人がいいな。

友だちをみつけて、部活などで楽しみをみつけた人がいいな。

と思うのよ。

会社のために自分がいるんじゃなくて、自分があって、その自分が仕事をしたり、友だちと遊んだり、恋人とデートしたりするものだから。

気がついたらすべてにおいて、相手に合わせてて、自分がなくなってた…ってのは、やはり困る気がするんだよね。

書きながら、でもこれって、「縁起」で「空」なんじゃないの?って思いました。

ま、どっちでもいいや。

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