« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

絶望ってあるんだ

10月25日に出たばかりの本。

___2

石井光太著 『遺体 震災、津波の果てに』 新潮社

釜石市を舞台に震災によって町じゅうにあふれた遺体を、生き残った住民たちはどうしたのかを、

できるだけ淡々と書き記したルポルタージュ。

震災後、多くの人と同様に、わたし自身もわたしのなかで世の中に対する認識が大きく変わったと実感している。、

それは、わたしたちのいるこの世に、「ものがたり」はないなってことだ。

わたしたちは、生きていく方便として、

つらいことやたいへんのことがあったら、すぐにそれを補うに余りあるすばらしいことがそのあとに来る、

株価が下がってもそのうち元に戻る、

失恋してもまた新しい出会いがやってくる、等々・・・

好きなものがたりをこしらえてなんとかつらい現実につじつまをあわせようとするんだけど、

底の底のとことんまでいって、はいあげるきっかけなどどこにもないことが、

何の理由もなくあるのだ。

ある日突然、大切な大切な家族が津波に流されて、変わり果てた、本当に変わり果てた姿で、町の廃校になった中学校の体育館に、

棺ではなく納体袋や毛布にくるまれて安置されている。

家も職場もすべてを流されて、避難所生活だから連れて帰ることもできない。

遺体が腐るとさらにまずいから安置所は暗く、寒い。

おびただしい遺体を体育館まで運び、できるだけ手厚く葬ろうとしたのは市内に住む公務員や消防職員、民生委員、葬儀社社員、僧侶などだ。

彼らもみな親戚や知人などに津波の被害者がいるという状況で、この業務に携わっていたという。

このルポからしか想像できないけれど、たぶんそれは、地獄絵図だと思う。

釜石市の人たちは、被災地の人たちは、生きながらにして地獄を見てしまったのだろう。

来る日も来る日も被災地に広がる惨状を目の当たりにするにつれ、

私ははたして日本人はこれから先どうやって

これだけの人々が惨死して横たわったという事実を受け入れていくのだろうと考えるようになった。

震災後間もなく、メディアは示し合わせたかのように一斉に「復興」の狼煙を上げはじめた。

だが、現場にいる身としては、被災地にいる人々がこの数えきれないほどの死を認め、血肉化する覚悟を決めない限り

それはありえないと思っていた。

復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。

人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、

それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。(P262)

続きを読む "絶望ってあるんだ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この国を壊す者へ

いよいよシクラメンの開花間近です。

111126_090742

花弁の縁の白が、つぼみの模様になってます。

つぼみで十分かわいいですが、開花が楽しみです。

ところで、NHKの連ドラ「カーネーション」は、近年まれに見る出来のいいドラマじゃないかな?と思いながら見ています。

テンポもいいし、感情の押しつけがましさもないし、淡白だけど、おもしろい。

完成度が高い。役者がいいからなんだろうなあ。

特に小林薫。あの、ごっつう勝手な男性像はキライなタイプなのだけど、小林薫がやると憎めない。ことに、今日の小林薫は、マツコと有吉の「三大小林薫」(?)に収められるのではないかというぐらい、よかったです。

お昼にもう1回見ようheart01

・・・・・・・・・

111126_091057

佐藤優さんの『この国を壊す者へ』(徳間書店)を読んだ。

2010年から2011年にかけて週刊誌で連載していた原稿を編集しなおして1冊にしたもの。

その時々の事象に、いちいち異議申し立てをしていると、大筋を見落としかねない。佐藤さんは俯瞰で見ることもできる人なのでいいんだけど、

個人的にはこまかいことは、いいかな?って感じだ。

そういうわけで、とりわけ「はっ」としたのは、第1章の書き下ろしの部分。

佐藤さんはトッドという学者の本から引用して、菅さんはじめ最近の政治家の傾向を、次のように指摘する。

続きを読む "この国を壊す者へ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仏教と日本仏教

ブータン国王が来日されているとのことだけれど、ちょうどNHKブックスの『ブータン仏教から見た日本仏教』今枝由郎 を読んでいた。

浄土真宗の檀家の息子として生まれ、大谷大学で東洋哲学を学んだ後、「もっと仏教の本質に近づきたい」と、気がつけばフランス、ブータンで研究暮らしをすることになった著者の、仏教と日本仏教観。

日本仏教が釈迦が始めた仏教とはだいぶ違うものであるということに限らず、「宗教」「信仰」「日本人」等々、普段当たり前と思っていたことが実は日本独特のことなのねと、再認識できる内容だった。

日本仏教の独自性を著者は次のように記している。

・日本語訳のお経を持っていない

日本のお経はみな漢訳のままであること。菩提にしても、菩薩にしても、サンスクリット 語の音写である。言葉の意味がわからずに、ただ感じの音と字面だけに頼ってきた日本人の仏教理解には危うさが伴っている(P97)

・経典を取捨選択している

仏教の膨大な経典の中の一つのお経を選び、その中に記されている修行の中から一つを選んでそれに専念している

・仏教徒としての意識は希薄で、宗派意識のほうが強い

・戒律と僧伽がない

そもそも仏教は、ブッダの教えを記した「経蔵」と、出家者が守らなければならない戒律を集めた「律蔵」、それらの注釈書である「論蔵」から構成されている。しかし、日本の仏教は「経蔵」が取捨選択されているうえに、戒律がない。

戒律を守るため、出家者は僧院での集団生活を営むものだが(僧伽)、守るべき戒律がないので(笑)、集団生活を営む必要もなく、家庭生活を送っているのが、日本の僧侶である。

・一般仏教徒に仏教徒としての自覚がない

キリスト教にしてもイスラム教にしても、日本以外の仏教にしてもそうだけど、「わたしはこれを信仰しよう」という選択があって、その宗教の教えを守るわけなんだけど、日本人の場合、成り行きで(笑)、死ぬ時はお経上げてもらって、戒名もらって、お墓に入るのよねー。

・お墓があるのは仏教国では日本だけ。回忌法要を行うのも日本だけである

「回忌法要は、先祖崇拝という背景から生まれた日本仏教特有のもので、仏教本来のものでない」(P117)

仏教の考え方には科学的な面でも大いに共通する面があるっていうことで、ダライ・ラマ法王が欧米の著名な科学者との対話を繰り返しているっていうような話もあって、

仏教それ自体は21世紀でも通用するぐらい深い思想であるはずなのに、どうも日本仏教はそれについていけてない感じがする。

続きを読む "仏教と日本仏教"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

緑の再生力

111112_083529

確か一昨年頃からあったブライダルベール。先日鉢わけをしたら、みるみる大きくなって、2鉢ともこんもりと山のようになった。

真新しい緑。肌触りもやさしく、しなやかだ。それだけでなんだか、わくわくする。

生気にみちた緑は美しいものだなと、見るたびに思う。

プロの園芸店の場合、絶頂の商品を店頭に並べる。わたしたちは、それを見て「絶頂」の美しさを自宅に持ち帰る。

だけどその美しさを維持するのは、実は結構難しいと、気づいた。

素人だしね。

で、思った。素人だし、限られた条件の中で楽しむしかないんだもの、常に「絶頂」の美しさをキープさせることはできないし、そこでがんばる必要はないと。

先日買ったビオラ。

110928_111514_2

病気になったり、虫がついたりして、瀕死の状態になったので、思い切って切り戻しをした。

111112_083656

夫はあきらめて新しい株を買おうと言うけど、いやいや、これがどうなるか実験してみたいと思う。

新芽は出てるんだけど、寒い冬を前にやっぱりダメになっちゃうのかな?
観察を続けます。

そのほかにも、

続きを読む "緑の再生力"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

国民は無力だ

「国民投票」という切り札を切ってまで権力に執着して、自国の世論巻き返しをはかろうとし、強面のEUのお歴々を巻き込んでのギリシャ元首相の茶番は、

「さすが民主主義発祥の地!」といわんばかりの、高等テクニック(政治手腕?)で、

正直言って、大変勉強になった。

プロの政治家ってこういうことするのねーって感じだ。

茶番もここまでくれば、かなり、見ごたえがある。

(もちろん、「対岸の火事」だと思えばだけど。誰も頼んでもいないのに、わざわざ「消費税上げます」なんて国際公約掲げて、案の定、何の反応も得られずに帰ってくる、どこかの首相よりずっと、

役者が上だ

不況で職がなく、財政緊縮も厳しく、やり場のない怒りをデモやネット等でうさばらしするしかないギリシャ国民、鍛えられるよ・・・ほんと。

辞任に追い込むまではいい。問題はそのあとだ。

どっちが権力を握るかのどうでもいい駆け引きにまた時間を費やすのだ。

「俺ら、こんな政治にいつまでつきあわないといけないんだ?」

ギリシャやイタリアだけではない。

流血の惨事が繰り返される中東の国々を見るにつれ、

そこまでのエネルギーをかけてもまだ!ダメなのか?と、

「政治」っていったいなんだろう?、「政治」って国民のためになってるの? 「政治家」って国民のために働いてるの?と、

理論上の難しいことはさておいて、そもそも今の「政治」のシステムの存在に、疑問を持ってしまう。

国民はあきらめ、それでもまだ!と希望を託し、前を向いて進むんだ!

っとするならば、日本人はもっともっと、鍛えられなきゃいけないのかもね

自民党政権時代の年金部会でご一緒した権丈先生のHPを久々にチェックして、(くやしくって)ちょっと泣けた。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare373.pdf

僕が、講演なんかをしていて、いつも、なんか嫌になって、聴衆から目をそらして下を向いてしまう箇所がある。

それは、民主党がマニフェスト不履行の理由として、東日本大震災をあげる話に触れるときである。

脱官僚、政治主導で16.8兆円は簡単に出てくると言ってきたウソをごまかすために、彼らは、東日本大震災を持ち出す。

人として、絶対にやってはいけないことだと思うんだけど、残念ながら現実に、彼ら、特にこの国の総理は、そう言う。

僕は、あんまりだから霞が関方面に、質したことがある。答えは、財務大臣の時から野田さんは確信犯的に政治的判断としてやっているとのこと。

間違えているのならばまだしも、こうなれば、なんだか、辛すぎる。

続きを読む "国民は無力だ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ごほうび

子育て支援について調査研究しておられる大学の先生が、ヒアリングに来てくださった。

90年代、少子化が言われるようになって、市民活動というものが取り上げられるようになって、

その流れの中で、当時はどんな動きが起こっていたのか、わたしは、わたしたちは何を思って動いたか。

そこで感じたこと、今思うことなど、話を聴いてくださった。

拙著をちゃんと持ってきてくれていて、ブログやらHPなどに書いたものも用意しながら聴いてくださるSさんの姿勢に、

正直、ぐっときた。

ありがとうございました。

わたしのやってきたことを認めてくださる方がいらっしゃった。

それだけで、もう、十分かな~~。

111104_185941

Sさんが書かれた本や報告書などと、お土産cherry

制度の話で言うと、事務局を担う官僚さんたちは変わっていないので、政権交代の前と後で見ても、担当者や関係者がやってることは変わってないのだけど、

本質的なところの内容は変わっているんだよね。

子育て支援のこれまでの流れを説明しようと思うと、政権交代を大したトピックと思わないで進めてしまうのだけど、同じことをやっているようで違っている。

知らず知らずのうちに、変質していく。人がかかわるものだけに、一瞬として同じではない。

それが「政治」ってものなんだが、わたしたちが政権交代とか、政治とあまり慣れ親しんでいないので、よくわからないでやりすごしている感じがする。

世の中の風潮も変わったし、市民活動自体も変化した。

・・・・・・・・・・・

それでも話しながら、ああ、わたしはこの部分は変わってないんだなと、再確認したことがあった。

それは、制度や仕組みがすべての親子を公平に救うことはできないのだから、であるならば、

「一番弱い子ども」から優先して支援していくのが公なのだと、思っていること。

そして、

子育て支援のサービスを受けた親が、支援する側に回ったり、地域の担い手になるのが、子育て支援の本来の姿

と思っていること。結局はその2つだな、それだけ。

わたしはともかく、ぶれずにそう思っているということに気づけて、よかったなと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

111105_121211

今日は、近所のおいしいお蕎麦屋さんに行きました。

おいしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

要は「好み」の問題

さだまさしさん、がんばってるなと思うのだけど、彼の歌はちょっと苦手だ。

なんでかわからないけど、そうなのだ。

今日、さどさんとやってるテレビを見て、ちょっとわかったのは、

キミが笑ってくれるなら

僕は悪になる。

という中島みゆきさんがいて、

キミが笑ってくれるなら

僕はピエロになる。

というさださんがいると、

わたしは絶対にみゆきさんなんだということなのだ。

何故かと言いだすと、きりがないのだけど、

たぶん「悪なんて、そんな極端」っていう人も多いでしょう。

好きな女の子のために必死にピエロしている不器用な僕、が好きな人も多いんだろうね。

と、皮肉に思ってしまうのは、損な性格なのだけど、そうやって生きてきてしまったということに気づいた。

でもこれも、さださんが悪いわけじゃないし、好み、好みの差、だけなんだよね。

まあ、中途半端なものを渡さないでっていうのはあるけれど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

テレビばっかり見ていたとき、「被災地のみなさんの~」ばっかりで、

「立ち直った姿が見れて、こちらも元気をもらいました」とか、「希望を失わず」とか、

相変わらず、すごいこと「枕ことば」にして連発してるなー、そんなふうにお尻叩かなくっても、放っておいてくれないかなー、などと思う自分が変なのかな?と、ちょっとおかしくなりそうだったのだけど、

佐藤優さんと中村うさぎさんの対談『聖書を語る 宗教は震災後の日本を救えるか』文藝春秋刊 を読んで、ほっとした。

震災直後の社会現象について、「日本人の中にあった全体主義への志向が見えた」とか、「同調圧力」とか、

ああ、感じていたのはわたしだけではなかった!!と、よかったわ。

続きを読む "要は「好み」の問題"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「社会化」はいいことか

「社会」とか公的なものと、個人であるわたしが、どういうふうに距離を置くかっていうのは、意外に多くの人たちのテーマになっているのだなあと、今さらながら思ったりしている。

たとえば、来年の年賀状は「おめでとう」というかわりに、「日本はひとつ」というメッセージを刷ったものを販売しはじめたと、印刷所さんが言っているというニュースがあった。

結構注文がきているそう。

佐藤優さんの『国家論』を読んだ身としては、「日本はひとつ」なんて、ナショナリズムでしかなく「こわっ!」とすぐにピンとくるのだけれど、

別に悪いことしているわけじゃないし、ぼんやりしていると、「ええはなしやー」になってしまうのだ。

印刷所のデザイナーさんも、全体主義をうえつけようとかそんな意識なしに、「日本はひとつ」とレイアウトしたんでしょう。

そこが、一番恐いところなんだけれど。

テレビメディアが被災者を一か所に集めて、「どうでしたか?」とか聞くのを見ていると、ほんと、げんなりしてしまうのだ。

日本人は賢いので、マイクを突き付けられると、「相手が望む答え」を答える。

それに、プロデューサーは自分たちの望む答えがでるまでマイクを突き付け続けるだろう。そして、望む答えだけを選んで編集するだろう。

そんなふうに「ものがたり」がつくられる、ということを、みんな知っている。

続きを読む "「社会化」はいいことか"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »