五感のごちそう
NHKBS「アメージング ヴォイス 世界の歌声」、はまって見ています。
http://www.nhk.or.jp/amazing/index.html
気にいった歌声をみつけると、ついアマゾンで検索したりして注文(くっ。思うつぼだ)。イタリアのMINAのCDも買ってしまった(大満足できたので、OKなんだけど)。
昨日の放送もよかった。
ちょうど、河合隼雄さんのケルトめぐりの本を読んでいたこともあり、番組のなかで日本とケルト文化の共通点などにも触れられていて、なるほどな~と、感じた。
地の果て。辺境。それが、ブルターニュ地方やアイルランド、そして日本に共通するもののように思う。
ひところずっと読んでいたカナダ辺境の地(アイルランド人の移民の多い島)なども同様だろう。
そこで生まれた独自の文化。
河合さんは、日本の、世界の生き残りの方法を模索してケルトに行かれたわけだけど、その(模索の)必要性がますます高まってきているように思う。
菅さんもフランスに行っているようだし、それもとても大事なのだが、たぶん、それだけではダメなのだ。
無意識の部分が現代社会を生きる者にとって必要な理由は、現代では意識が合理的・化学的なもので固められているからである。
かつて人々は、いまより非合理なものを入れ込んだ意識を持って生きていた。神様仏様の存在を信じ、死んだらあの世へ行くと思っていた。
そういった感情が支配する社会は、安定はするが進歩はしない。
それに対して、意識の部分をむやみに強化し、合理的に鍛えてきたのが近代から現代にかけての欧米社会であり、
その影響下にある多くの国々の社会、人々である。
無意識と意識の関係が切れてくると、人々は不安になる。人間はみな死ぬのだから、死というものがその人の人生観にどう取りこまれるかは、とても重要なことだ。
(『ケルトを巡る旅』河合隼雄 P212)
という内容を、活字という「意識」の窓から取り入れるっていうのも、なんだかおかしなはなしなんだけど、意識の外側にある無意識の世界の重要性について河合さんは何度も強調しておられるわけだ。
というわけで、無意識を意識(?)するには、「思考」をストップさせるのが手っ取り早い。
目で楽しむ。耳で楽しむ。触感で楽しむ。舌で楽しむ。香りで楽しむ。
母が送ってくれた、実家の庭のバラ。花弁の感じから、オールドローズ?かなと思うのだけど、きっと香りもいいんだろうな。
そういうことができるから人間なんだと思う。
「思考」をしばし、ストップ。
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