東京の夏
昨日は、久々にクラシックコンサートに行ってきました。
第25回<東京の夏>音楽祭2009
日本の声・日本の音
井上道義&オーケストラ・アンサンブル金沢
曲目は
石井眞木の聲明交響Ⅱ
ベートーヴェンの交響曲第7番
です。
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昨日は、久々にクラシックコンサートに行ってきました。
第25回<東京の夏>音楽祭2009
日本の声・日本の音
井上道義&オーケストラ・アンサンブル金沢
曲目は
石井眞木の聲明交響Ⅱ
ベートーヴェンの交響曲第7番
です。
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今回、わたしに仕事の依頼をしてくださった、
思春期のお子さんと格闘中の信濃毎日のWMの
部長さんのお仕事ぶりを見ながら思ったこと。
いいにつけ悪いにつけ、わたしたちは、世の風を敏感に
感じてしまうサガなのだ。
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息子の大学生活を見たり、講義の対象者が学生で
あることもあって、「わたしの大学生活ってどんなんだっ
たっけ?」と振り返ることしきりだ。
昼近くまで寝ている息子を、そうなの、叱れないのだ。
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今日は、厚生労働省の少子化対策特別部会でした。
冒頭、骨太方針2009と持続可能な社会保障構築とその
安定財源確保に向けた「中期プログラム」、安全社会実現
推進懇談会、認定こども園の認定件数、ゼロから考える
少子化対策プロジェクトチーム提言など、他の委員会などで
話し合われている少子化対策に関する議論の報告がされ
ました。
どの報告書でも相当優先順位の高いところで、「少子化対策」
の重要性が明記されるようになり、心強いところ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、今回の主たる議題は、
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「わたしたち学生は体験してないのでー」
という言い訳は、一度限りだ。二度目は通用しない。
「体験していない」から、だから、なんだ?
体験していないなら、体験する努力をすればいいだけ
ではないのかしら。
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橋をかける 子供時代の読書の思い出 美智子(文春文庫)
この本の一節をたまたま目にして、あ、読みたいかもと
思い、運よく昨日、六本木ヒルズそばの青山ブックセンターで
手に入れた一冊。
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「ムーミンの家族はいたって自然なかたちでしあわせなので、
自分たちがしあわせだということさえ知らない。
かれらはいっしょにいてしあわせで、互いに自由を与えあう。
つまり、ひとりでいる自由であり、
自分なりの考えをもつ自由であり、
分かち合ってもよいと思うまではその考えを秘密にしておく
自由である」(「自由とは何か」)。トーベ・ヤンソン
『ムーミン谷のひみつ』 冨原眞弓 ちくま文庫 より。
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「あの子は怒ることができない」とちびのミィが言う。
「そこよ、問題は。いい、よく聞いて」とミィは言葉をつぎ、
ニンニにぐいと近づくと、おっかない顔をして睨んだ。
「あんたね、闘うすべを学ばない限り、自分の顔をもつことは
できないのよ」
今朝起きて、昨日起こったことなど、ぼーっと考えていた。
ああ・・と思わず声が出てしまった。
「夫は平日この子の起きている顔を見ることはほとんどない、
土日もたまに・・・」と話す、若くて美しいお母さん。
「それが普通」と話すひろばのスタッフ。
(ええーっ!!)と内心おののくわたし。
うらやましい男、白洲信哉さん。
父方の祖父母が白洲次郎さんと正子さんで、
母方の祖父が小林秀雄だって~~。すごすぎです。
しかもわたしと同じ年。むむむ。
で、やっぱり買ってしまった。
『白洲家の流儀 祖父母から学んだ人生のプリンシプル』
(小学館新書)
僕と妹が訪ねると、次郎は「ほっぺにプーして」と我々兄妹を
抱き上げた。理由は分からないが、次郎が「プー」と言えば、
白洲家では「キス」を意味した。
わたしの次郎好きは、そこらのにわかファンとは違う。
悪いが学生時代からチェックしてたのだから!
「相撲も千秋楽、パパも千秋楽」
には、泣けた!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次郎はせっかちだったが、いつも控えめで、進んで表立った
行動をとらない性質だったようだ。しかし、やるときは黙って
誰にも分からず行動し、考え方にブレがなかったし、それは
正子にも共通していた。だから二人とも、動き出すと素早かった。
この、「素早い」っていうのが、いいな。
昨日の講義から、グループワークが始まった。
名簿順にまったく知らない同士の6人構成のグループ。
講義後の感想は、これまでとはくらべものにならない
なおざりなものに・・・。
「がんばります!」とか
「楽しかったです!」とか。
時間がなかったのはわかるけどー。
今までのあの、紙いっぱいに書かれた感想の
数々は・・・いったい・・・。
(まあ、これまでは講義を一方的に聞くばかりだったから、
書いてる時間があったってわけだね。センセイの
ご機嫌をとる余裕もね。)
でも、昨日は、「さあ、みんなでやってみよう!」になって
いっぱいいっぱいになっちゃったってことなんだろうなあ。
センセイ的には、「おもしろくなってきたわ」なんだけど、
これからがたいへんだ。
どういう構成にしようかなあー。
講義の最中だけでもいいから、ぐるんぐるんと混乱したり、
葛藤したりする体験を持ってもらいたい。
で、それをいいかたちで、次に持っていける終わり方。
ああ、前期だけじゃ、足りない~~。
「できる」ようになるまでのプロセスは果てしない。
なんとなくのイメージで「こんな感じ?」と思っていることを
そのままキャッチーなコピーにして、周囲を「お」と思わせ、
「どれどれ・・・」と見て見ると、
「え?これ? これでいいの?」みたいな
(誇大広告ってやつですね)。
努力のあとも見えず、「こんなふうになりたいんです」って言いたかったダケなのね。。。
これは、実はわかってないし、できてもいない、
2つともはずしている例。
「アタマではわかってるんですが、できないんです!」
これは、わかっているが、できない例。
息子に、「バッティングの理論はわかっているけど、うまく
打てないときはどうする?」と聞いた。
「毎日素振りするしかねーべー」。
「そうしたらできるようになった?」。
「できるようになったけど、できないままの人もいた」
「なぜだ?」。。。それはおいておいて。。。
「理論」でわかっているができない人に、理論を重ねても
こんがらがって苦しむだけかもしれない。
「なぜできないんだ?」とせめてもお互いがつらいだけ。
(いい大人だったら、ご本人の問題なので、早々にあきらめる)
理屈はわかっていて、
自分はここができていないということに気付いていて、
なんとかして「できるようになりたい」んだったら、とにかく、OJTだ。
(「気づく」「できるようになりたい」までもひと仕事なんだけど)
間違ったOJTにならないよう、正しい指導法や手法が必要
となる。
「やってみせる」
「簡単なワークを繰り返して、徐々に難しくしていく」
などか。
おそらく、ひとりひとり、指導法は違うのだろうと思う。
最初にすごく時間をかけて手取り足とりやることで、あとは何も
しなくても、見事にはばたく人もいるし、
少しのケアやフォローをこまめに行うことで、ずっと安定して
いい感じで過ごしていく人もいるだろう。
その「かかわり方」や「変化」(もちろん自分の変化も含む)を
味わうことが、「先生」と呼ばれる人の歓びかも。
で、一回の講演で、それは無理だってー。
で、一回の講演で、やるべきことは何なんだろう??
(日常に飛んでくる「非日常」?)
このところ、息子との会話が面白い。
新米先生として教壇に立って、「こんなことがあった」
と報告すると、大学1年生として、「これはこういうことだ」と
教えてくれる。
「今日の僕の授業態度は最低でしたー! ずっと寝ていて、
最後に感想を提出(これで出欠をとったり、評価につながる)
と言われたんだけど、手がしびれて書けなくて、隣の人に
書いてもらいましたー」
そ、そうですか・・・。
学生さんって、そういうもんですかね。
息子がやってるんじゃ、うちの学生がやってても怒れないなー、
そういう授業、しないように気をつけなければ・・・などなど、
一言では言い表せないさまざまな感情が去来しました。
*********************
で、そんな彼が教えてくれた格言。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
かをしり、おのれをしれば、ひゃくせんあやうからず
敵を知り、自分を知れば、負けることはない。
続けて、
「彼を知らずして己を知れば、一勝一負し、
彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。」
これは、孫子の有名な言葉だそうです。
「あなた、何をしているの?」
と、ずばっと聞かれて、きちんと答えられるだろうか。
「悲しんでます」「くやしいんです」
「で? だから泣いてるんですか?」
まあ、そんな意地悪な人は、そんなにはいませんが(笑)。
泣くことでしかどうすることもできない、悲しみやくやしさは
たくさんありますが、そうではないやり方で解決できる
「悲しみ」や「悔しさ」もあります。
*******************
「天地人」
「天の時より地の利、地の利より人の和」ってことらしい。
なるほど・・・。
確かな仕事には
・熱い想い(動機づけ)
・課題をみつける感性
・戦略が立てられる論理的思考
・確かな技術・戦術(できなきゃ意味ない)
・実行力(決断力と前に進める力含む)
・評価能力(冷静さ)
まだまだ未熟なうちは、「危険な場所にのこのこ
出ていかない」は、原則。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」は、わかるけど。
「弱い犬ほどよく吠える」というたとえもあるし。
・・・・
勉強になるわあ~。
ここんどころの体験の数々。ありがたいことだ。
大切にしよう![]()
講座と講演の準備に土日を費やしてしまった(ガーン)。
北海道教育大学の教育学部の先生のサイトを偶然
チェックすることができ、先生が作ったテキストをありがたく
プリントアウトさせてもらって、学生のように読ませてもらう。
「よい授業」とは、生徒を理解に導くことに成功した授業の
こと。
そして、理解に導くためにすることは、あーでもないこーでも
ないといろいろ考えさせ、やらせ、そしてたくさん疑問を
出させること。」
それができてるかなあー・・・
「指導型じゃなくてー」と、よく言っている。
なので、指導型ではない講義がしたい。
段階1: 教師対生徒全体
段階2: 教師対個々の生徒(生徒間の交流はない)
段階3: 生徒間の交通が教師を媒介にしてある
段階4: 生徒間の交通がある
ふむふむ。。。
6月は講演もある。行政職員(女性管理職)対象のものと、
お母さん対象のもの。で、学生さん。
ううう。
段階4までやりたいものと、一期一会なので、ちょっと
そこまではーというものと。
そろそろ、「点け火」だけじゃあね(笑)。
やっぱ必要なのは、戦略ダワ。
何度目を通しても、うっとりする、鶴見和子さんの本。
創造性とは何か。
「これまで結びつかないと考えられていたもの、または考えの、
新たな結合をつくり出して、その結合が成功すること」
成功というのは、
「学問である場合は、論理的にほかの人の役に立つ」こと。
創造性の道筋
「明晰にして判明なる概念でしゃべってると眠くなる。つまり
陳腐になるんです。明晰にして判明だけど面白味がない。
それは創造的じゃない。もやもやと沸き上がる想い(内念)
があって、その想いを明晰にして判明なる概念にして、
新しい考えにたどり着く」
「もうひとつの組み合わせは、古代論理と形式論理学です。」
つまり「同化の論理」と「異化の論理」のぶつかりあい。
人間の中で、同化している中に異質な文化や
異質な考えがぶつかって創造性が生まれる。
さらに進んで、
「人間と自然とのつきあいの中で生まれた創造性」。
異なるものを排除しない。
そのぶつかり合いのなかから、新しいものが生まれる。
それこそが、「創造性」。
ひとりで生み出してる。
柳田国男も南方熊楠も、鶴見和子も。
**********************************
昨日、ひとつのターニングポイントになるような
集まりを設けることができた。集まってくれた人たちは
来るべくして来た人ばかりだった。
そこで、さまざまなことに気づく。
わたしがいなければ、「あの世界」と「この世界」はつながる
(あるいはぶつかる)ことはできなかったんだな~~。
で、新しいもの(新しいシャカイ)を生み出したかった。
・・・・・・・・
学生さんが「構造的に説明してください」と言ってくる。
んー・・・でも。家庭の事情とか地域の事情とか、あなたが
実際にそこにいたら、「構造的」だの「論理的」だの、言って
られるかしら?・・・とも思う。
つまり、「理論」と「内念」のぶつかり合いなんだよね。
ここで、ふと、柳沢教授を思い出した。
あれもひとつのぶつかり合いのかたちなのかもしれない。
「想い」だけじゃ、もう、だめなんだ。
伝えるすべ。かたちにするすべ。
そういう「すべ」を磨きたい。いろんな「すべ」を持ちたい。
そしてわたしの課題は、「境界線を明確にする」。
不許可なものまで、油断して、侵入させない。
場は、よどませたくない。
常に浄化させておきたい。
先輩の編集者さんが、何度かおっしゃった一言。
「犬が人噛んでも記事にならないけど、人が犬を噛んだら
記事になる」
つまり、当たり前のことは記事にはならないのだ。
でも、誰にほめられるわけでもなく、当たり前のことを
当たり前に日々粛々と繰り返しているプロフェッショナルが
いるから、日本は平和で、わたしたちの暮らしは日々、
安定し、安心なのだと思う。
そんなプロをたくさん見てきた。
わたしもそんな「プロ」のはしくれとして、生きていきたいと
思っている。
持つべきものは、「誇り」かな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「看板にいつわりあり」のお店の出し方は、ちょっと恥ずかしい。
言うなら「それなり」を示してから・・・。
エンドユーザーはいったいだれか。
周囲の評価に値するだけの根拠が必要。
等々、考えつつ、やる。
仕事の美学。
生き方の美学。
なんだか、ゆずれないのだ。
昨日は内閣府「バリアフリー・ユニバーサルデザイン
推進功労者表彰選考委員会」でした。
子どもや親に特化した「子育て支援」としての選考ではなく、
ユニバーサルの視点から・・・となると、選び方が違ってくる
ように思います。
一応の目安として挙げられているのは「内容」、「波及効果」、
「将来性」、「利用者の視点(利用者から支持されているかどうか)」、
「自発性」、「具体性」、「継続性」。
ことにハード面からのアプローチも含まれますので、全体を
視野に入れた子育て支援や子育てバリアフリーの位置づけを
考えます。
本年度で8回目となるこの表彰、たぶん、始めた頃と比較し
ても、社会背景がだいぶ変化し、同じ基準と言いながら微妙に
選ぶポイントも変わってきているのではないかと思います。
時代が変化しても変わらず大事にしたいものは何か、
変化に合わせて変えていく視点、あるいは先を示す視点は
何か。
そんなことを考えながら参加しました。
昨日は、内閣府男女局の「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・
バランス)に関する専門調査会」の第18回目でした。
今月末を目標に報告書のとりまとめに入っており、議論もいよ
いよ終盤。
キーワードは「多様性」と「柔軟性」。
それに基づいて、多様な人々の仕事と家庭の調和をめざすため
にはどうしたらよいかについてまとめようとしています。
「多様性」を網羅しようと思ったら、そりゃ、とっても大変なんだけど、
ともかくも、ここまで見ようとしてくれているんだね・・・というところが
なんだか、いいなあと思ったのでした。
男女局が先に取りまとめた「新たな経済社会の潮流の中で
生活困難を抱える男女についてとりまとめに向けた論点整理」
にもあるように、各省庁が取りこぼしてしまうすきまに目を向け、
「そこにはこんな問題があるようですね」と拾って指摘するのが
ここの局の役割のひとつかな?と、思ったりしています。
もしかすると各省庁からは、「で、何なの?」と言われてしまう
かもしれないけれど、これは大切な役割だと思っていて、
言わないと、なかったことにされてしまう。
時代の流れのなかで、大きくなったり、小さくなったり、多少は
するけれど、一貫してぶれずに言い続けるって感じかなと、
思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
男女共同参画の課題は、
・「男は仕事、女は家庭」といった性別役割分業は違うのだ
ということについて、世間的な認識はある程度広まったのだけど、
実際問題、家庭内のアンペイドワークは、相変わらずほとんどを
女性が担っている、という現実は何も変わっていない。
世間が女性に期待するイメージも、さほど変わっていない。
その中で知らず知らずのうちに「ねじれ」が生じて、「つらい」。
・最近は、女性だけでなく男性も「多様」になってきた。
性別も年代も、生き方も国籍も多様な人たちの間で、
多様であることを認め、自分を持って生きることは、実は
なかなかに大変なことだ。そこまでの耐性がまだ十分でき
きれていないように感じる。
多様性を支える制度、とはどんな制度か。
多様を認める、わたしたちの意識。
そんなあたりから、見直していこうと思う。
「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、
他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころと
して、他のものをよりどころとせずにあれ」
(中村元訳「ブッダ最後の旅)」。
気の合う仲間だけの狭いコミュニティのなかで、始終
「仲良しごっこ」をしている子どもの様子などを想像して、
「それでいいじゃん」と言われてしまえば、確かに誰に迷惑を
かけているわけでもなし、それでいいようにも思うのだけど。
何が足りたいのかと思った時、気づくのは、たぶん、
自分自身との対話だ。
他者に見られたり、評価されたりする自分の演出方法では
なくて、自己とのせめぎ合いから逃げないこと。
それがある程度できてくると、狭いコミュニティで、「ごっこ」を
する時間が惜しくなり、もっと違う、自分とは違うすばらしさを
見せてくれる、他者との出会いがほしくなるんじゃないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
個人の努力の縦軸と、社会の仕組みの横軸のマトリックスを
つくってみる。
その両方が上手に生かされて、人は生きがいと、喜びのある
人生を送れるのではないかな。
そんな話を次の講義ではやってみよう。
杉山です。
1年以上、更新もせず、放ったらかしにしてしまいました。
ちょっと思うところあり、まずはこのブログからほそぼそと
耕し始めたいと思います。
新しい世界の構築の準備・・・といったところでしょうか。
実験、なので、静かに、こっそりと。。。
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