見えないワナにご用心

日本という国は「自分のことなのに、自分で決めさせてもらえない」ということが、しみじみと分かる事例が最近あったので、忘れないように書いておきます。

● その1

昨日のNHKのニュースで、学校で起きる事故対策について紹介されていました。

窓からの転落など、明らかに起きてはいけない、対策の施せる、そして重篤な事故が子どもの学び舎で起きているのです。

で、文科省は何してるか? 「リーフレット」。出た。リーフレット。リーフレットで子どもの事故が防げるなら、とっくに避けられるはずの学校での死亡事故はなくなっているでしょうね。

中教審という、会議中に各委員が1回発言できれば御の字という大会議で対策を考えるとか言ってたけど、アリバイづくりっぽいなあ。その会議自体がリーフレットの全国配布の印刷費等々の予算も含めて無駄でしょうね。

で、学校では保護者も一緒になって危険箇所をチェックしてました。

ん?なんでそこに当事者の子どもがいないのでしょうか。自分たちがほぼ毎日を過ごす場所です。何が危険で、どうしたら事故を防ぐことができるのか。自分たちはどうしたらいいか。それこそ「学び」であり、「安全教育」のように思うのはわたしだけ?

「気をつけましょう」「危ない場所には近寄らないようにしましょう」と伝達するのが安全教育ではないですね。

知識のあるファシリテーターを呼んで、事故や危険について学び、教室や学校を点検し、対策を自分たちで考える授業を一度でもやってみたらいいのに。

楽しく過ごしつつ、折り合いをつけるすべは全国一律ではなく、そこにいる当事者によって、多様であり、彼らによって決定がされるべきだとわたしは思います。

● その2

TBSで2001年に大ヒットした中居くん主演の「白い影」というメロドラマをやっています。

そのなかのエピソードのひとつに、いかりや長助演じる末期がんの患者に、告知をしないというのがあります。

当人のみならず、家族にも胃潰瘍と言っています。手術をせがまれ中居くん演じる直江医師は開腹だけして手術したと、そんなことまでします。

ドラマですのでいいんだけど、当人である患者の意志不在でびっくり。

「2001年で平気でこんなの流してたんだ」と、メディアの姿勢がちょっとねえ。

● その3

ついみてしまった、昨晩のフジのくさなぎくんの医療ドラマ。脳梗塞で意思を伝えるのが難しい患者さんに、いろう手術をするか否か。

本人は口からものを食べたいと希望しているのに、誤飲の危険があると担当医はいろうを主張。

本人の意志はとことん軽く、医師の方針が絶対。というのが前提で、それに対して研修医である草なぎくんが挑む。

手話で会話する恋人の存在など、好感のもてるドラマですが、「本人の意志が通りづらい」が、ドラマの前提ってのは、今の日本はそうなのか・・・って感じ。

自分の生き方の誇りだったり、命がかかっている場面のはずなのに、患者は明らかに「下」に置かれていますよね。そのあたりの扱いが、欧米のドラマや映画に比べるとまだまだ。

ってことは、国民の意識がまだまだってこと? 水川あさみちゃん演じる同僚医師が「患者がバカなのよ」って、いらだたしく言ってたけど、日本の方が、欧米に比べ自分のことを自分できめない人が多そうな気はします。

まあ、学校であーゆー自己決定を許さない教育を徹底していればしょうがないのかもしれませんが。

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慎重にことばを選ぶ

誕生日も無事迎えることができ、息子と夫がケーキと花で祝ってくれた。

去年も一昨年もそういえば入院していて、たいへんはたいへんだったから、今年は家でお祝いできただけでもよしとするか、という感じだ。

普通の健康な40代では起こりそうもないいろいろに、ひょうひょうと立ち向かってくれる夫と息子にはいつも感嘆させられる。

ありがとうございます。

・・・・・・・

言うとやすっぽくなることばって、いろいろあると思うけど、辟易するのが「絆」「つながり」だろう。

正直、もういいいよていうか。言ってればやってるふうに見えるから言ってるだけだなー、って場面も多そうで、逆に大事な問題点をごまかしてしまう危険もある気がする。

3.11の特集番組もほとんど首都圏の視聴者向けの内容で、被災地への情報にはなってなかった。

がれきの処理がこれからという政府の無策ぶりを見れば、どんだけ「絆」「つながり」っていったところで、具体的な動きにはなかなかつながらないことはみてとれる。

もっと気になるのが、「言わされてる」被災地の子どもたちだ。

子どもって、自分と友だちと家族のことぐらい考えて、ぼけーっとしているのがふつうだと思うのだけど、

被災地の子どもは、「復興」「希望」「感謝」などなど、大人が見たがる震災後のイメージを、演じることを期待されている。

酷だなあ。

それにしても、震災で何か変わるのかと思ったけれど、メディアとか政府とかそっちのほうは変わってないなと、思った。

・・・・・・・・・

世をすつる人はまことにすつるかは

すてぬ人こそすつるなりけれ    (西行)

大河ドラマでも何度も出てくる西行の歌。藤木くんの西行はなかなかよくて、あれならイケメン好きの白洲正子さんも気にいったんじゃないかなと思う。

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無内容でいいじゃんか

言葉に、意味や意義や価値をつけ、それをお金に換えようと必死になっていたのは、他の誰でもないわたしだった。

それ自体が不毛だなぁと、思い知って、まあマスコミのみなさんをはじめ、世間一般、あーだこーだ「言う」ことから、距離をおきたいなあと思っている。

白洲正子 『花にもの思う春』 平凡社

白洲さんが新古今和歌集について、さまざまな味わい方を紹介した一冊。

新古今集ってのは平清盛の孫でもある安徳天皇亡きあと皇位をついだ後鳥羽上皇の勅命でつくられた勅撰和歌集で、西行はじめ今の大河ドラマでおなじみの顔ぶれの歌もおさめられている。

公家社会から武家社会に変わる激動期に成立したことなども白洲さんは解説してくれるのだけど、

それよりもおもしろかったのは、和歌の本質について語った以下の一節。P63

「<無内容>とはそのまま内容のないことではない。今日近代文学のあり方になじんだ私たちが、ごく普通に<内容>といって思い浮かべるところの、

意味とか、観念とか、意識とか、思想とか、そういうものを主にして考えた場合の<無内容>なので」あって、

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AでもBでもないものは

AでもBでもないものを「第3の道」とか言って、わたしたちはすぐに名前をつけたがるけど、

それってあまり意味ないなと、思った。

昨日、小野リサさんが自身の原点をさがしに、ポルトガルのファドを体験するというBSの番組「旅のチカラ」を見た。

感情をそのままに、哀愁たっぷりに歌うファドと、

哀しいことも淡々と笑顔で歌うことで悲しみをより伝える、自分の持ち味であるボサノバの違いに戸惑う小野さん。

ファドは確かに好きだけど、ちょっと濃いなと思っていたので、なぜファドなのか、ポルトガル人の国民性などもちょっと垣間見れておもしろかった。

「ボサノバ禅」ということばがあって、常に歌い手はニュートラルでいよ的な仏教に通じる部分があるっていう話も初めてだったのでなるほど、だった。

感情をストレートに表現するのがいいのか、気持ちを殺すことで表現するのがいいのか。

あるいはこれって西洋的なアプローチか東洋的(ブラジルですが)アプローチか、どっちがいいのかってことにも通じるなと思って成り行きを見守った。

現地でいろいろなものと人に触れ、小野リサが歌うファド。

わたしは、ホテルとおぼしき部屋で、ギター片手に歌ったファド「かもめ」が、「おっ」と思った。

プロアマの飛び入りOKのお店で、マイクなしで、初対面のギタリストとぶっつけ本番で歌った「かもめ」よりも。

あれはちょっと、かわいそうだった。

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ゆるゆるをめざして

ちょっと前、災害や復興に関する国の重大な会議の議事録がなかったという話が伝わったとき、つくづくと、日本はおわったなーと感じた。

そして、何度となく参加させてもらった国の審議会のことを思い出した。

官僚って、資料作りと会議運営と議事録作りが自分たちの仕事だと思ってるんじゃないかと、思うぐらい、すばらしいパワポの資料と、ワードの議事録メモと本文を、作る人たちだ。

もちろん、自分たちが作った完璧なレールの上を予定通り進みたいから、こんな面倒をするわけで、

完璧であればあるほど、会議は彼らの術中にはまり、都合の悪いテーマを取り上げることは、難しくなる。

そういうのはわかっていつつ、わたしは毎回、事務方の作る資料のクオリティの高さにうっとりしていた。

日本一の知が本気出して作るものだもの、当たり前だよね。

もちろん会議も、メンバーがよければ超おもしろいし、いわば知的刺激を満足させる最高の場所であった。と、今となってはよくわかる。

蚊帳の外の野党だった民主党が、官僚主導を憎む理由もわかる気がする。

といいつつ、あれは個人的には楽しかったが、あれだけやってても国は回らない、というのも今は分かる。

人が集まって自分の思いを語る、伝える、話し合う会議や打ち合わせは、この世にごまんとある。

そうした場から何かが生まれ、大きなうねりをつくっていくことも多々あるのだ。そうした雑多な人々の、わけわかんない交流? 大事。

そのなかに、国の会議ほどの品質の会議が資料があるだろうか。そもそも議事録のある会議が、

いったいどれくらいあるのかって、話だ。

そんなもんだし、それでいいのだ。人間のやることは、多分、いい加減で、やりっぱなしで、議事録何か、つけんなよのものなのだと思う。

もちろん、議事録がない国の会議なんて、仕事放棄と同じだから、あの業界については、やるべきことをちゃんとやってから、重大な政策決定をやってよね、とは思うけれど、

世間一般、世の中的には、

言った言わない、感情的な発言のもろもろ、深い洞察の識者の一言と主婦の思いつき発言が、同等の重みで扱われるわけなのだ。

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「平清盛」

「高齢化社会」だと何の気なしに耳にしているけれど、それって、人がたくさん死ぬ「多死社会」ってことなんだよなあー、と、今さらながらに気がついた。

山ピーが葬儀屋さんになるドラマがつくられるほどだもの、ぼちぼちと、我が日本も、死に対する拒否や否定が薄らいで、

普通のことになっていくんじゃないだろうかと、思う。

・・・・・・・・

高度経済成長下に生まれ、成長しかしらないまま大人になったわたしは、衰退のシナリオを

思い描くことが、恐くてできない。

地球には限りがあること、トップランナーでがっつくより、ちょうどいい位置をキープする生き方でいいじゃないかと、頭でわかっていても、

息子をはじめとする若い世代の人たちの、彼らのせいではない、しなくていい苦労を思うと、

ため息が出るのだ。ほんと、ごめんね。貯金食いつぶしてる感じだなあ。

目下の政治や経済のドタバタをみても、あまりいいことはなさそうで、なので、「昔の話」にすがって、

昔の人だって、過酷な現状を乗り越えてきたよね、と、励みにしようとしたりしている。

で、大河ドラマ「平清盛」。

早くから梁塵秘抄をチェックし、「遊びをせんとや生まれけん」をうたっていた身としては、

今回のドラマは相当ごきげんで、鑑賞させてもらってます。

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羊飼いの詩人

あるテレビ番組で紹介されていた、イタリアの羊飼いの若者。

羊を追いながら、詩をつくり、
好きな本を携えて、山を越える。

日々表情を変える山並み、雲、空。
朝焼け、夕焼け、星、月、緑。
羊飼いでなければうたえない詩をつくる。

気にいった詩を恋人に捧げる。
その、ささやかな営みを想像する。

そこには、
いくらで売れるかとか、誰にうけるかとか、反響はどうだとか、
そうしたどうでもよい、不純物や雑多な物は介在しない。

言葉とか、人の営みとかを思い出すとき、
それは、かくもシンプルなものなのだと改めて気づく。

そのシンプルさに耐えられるかどうか。
我慢できなくなって、不必要なものをコテコテつけたりしたくならないように。
気をつけたいものだ。

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