わたしをさがして

わたしらしく、とはよく言われるフレーズだけど、わたしらしくいることは、言うほど簡単なことではない。
そもそも、わたしってなによ?

何もしないで、いるだけで、わたしでいられたら、そんなすごいことはないと思う。

「なりたい自分」になるための自己啓発セミナーがあるそうだ。
そもそも自分とは何かって問いだって一生もので、哲学的なはずなのに、
「なりたい自分」なんて、なんだろうね。
なりたい自分と自分は、別のもの? でも、なりたい自分をイメージしてるのは、自分のはずたし??

で、セミナーで講師の先生に助けてもらって、「なりたい自分」とやらになる。

ますます自分から遠ざかりそうな気がするなあ。

セミナーなどで取り組む内容と、自分ひとりで静かに行うことが、世の中にはあって、
それは、別のものとして分けて考えたほうがいい気がする。

なりたい自分を目標設定して、講師の先生とかお仲間と一緒に客観的に評価する?
なりたい自分に近づけましたね?って、評価するなんて、とてつもなく変だよ。

自分っていうのは主観的なものだから、それを人に頼ることなく、客観的などに逃げることなく、認めることからしか、始まらないって思う。

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いのち

どうせ最後は死ぬのに、なんで人は生きるのかなあと思うことがある。

今日、治療を待つ廊下で耳にした車椅子の男性とその奥さんと偶然再会したドクターのやりとり。
先生のおかけでここまで元気になれました。
良かった、良かった
その気持ちの良い会話から、彼らのこれまでの楽しいだけではなかったであろう、過酷な日々を思った。

そのとき
多分、人はいのちを慈しむために生きているんだなと思った。
自分のいのち。
親しい人たちのいのち。
いのち全体。

いのちってのは、慈しむものなんだと
それを、思う。思い出す。
ただそれだけなんじゃないかなあ。
それだけで十分なんじゃないのかな。

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伝えたいことを伝えるために

最近気がついたこと。

お願いです。⭕⭕してください。
ってなことを呼びかけたり、お願いしたりしているサイトなどを見かけることがあるんだけれど、

そう頼まれたからといって読んでいるほうが必ずしも言うとおりにはしない、のだ。

直接頼まれたわけでもないけど、つい⭕⭕してしまったってのが、
巧みな文章というのか、人たらしの文章なんだろうね、たぶん。

そういう魔法みたいな文章が書けるといいな。

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少しずつ変わっていく

病室で気づいたこと。

わたしがいるのは、四人部屋で、わたし以外は五十代から七十代の女性だ。

昼間、うつらうつらして目覚めると、ここは修学旅行先の宿か!という賑やかさ。
みなさん、初対面でもあっという間に打ち解けることができるようだ。

彼女たちは個人情報って概念がないんじゃないくらい、あからさまに自分のことを話す。
そんな感じなので、人も自分と同じように話をするものだと思っている。ううう。期待されてもなあ。

聞いた話を別の人にバンバン話しているのを見ちゃうと、そう簡単におしゃべりはできないなあと思う。

会話を聞いていて思うのは、みなさん、押し出しが強いなあ!ってことだ。
わたし、わたし。人の話なんか聞いちゃいない。
わたしの話を聞いて欲しいのね。

それにしても。
いままでいろんな集まりに参加したりして感じるのと同じ感想を今回も持った。
わたしも立派な45過ぎのおばさんだけど、50越えの女性のこういうところにはどうしてもなじめない。

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心がけたいこと

心がけたいこと。

柔軟性。弾力性。
しなやかさと、したたかさ。
どんな時でも。

答えをすぐに出さないこと。
急がない。あせらない。
急いでいる人、あせっている人に惑わされない。

大切なのは、風通しの良い関係。
情報の共有化。トップダウン型の意思決定ではなく、ネットワーク型の意思決定。

これにどんな意味があるのかとか、考えることが無意味。、課題の抽出とか、評論家の目線はもう古いんだな~と思う。
評論家の目線には何の意味もないのだから。
どうでもいいことに時間を取られない。

例えば、当事者意識を持つと何回言ったところで、当事者意識を持ったことにはならない。

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近況

今年になって初めてパソコンを開きました。メールも今読みました。

「そんなんで生きていけるのか、いまどき」と若者にはバカにされそうだけど、便利な道具が発明される前から生きてるから、なきゃないで、どうにかできるぐらいのハラはくくってる。

道具に振り回されてるのに、それに気づかないってのだけは、避けたいよね、まったく。

年賀状もどうにも書く気になれなくて、2年ほど前から失礼しています。

それでもこっちの事情を察して、返事は期待せず、近況を知らせる年賀状を送ってくださる方がいる。

ありがとうございます。かみしめて、読ませていただいています。

なにせ、右腕が動かないので、字も書けないし、メールの返事も打てません。

昔、わたしは、即レス女王だった。

返事をすることは苦にならなかった。

でも今は、したくてもできない。

ので、ブログで言い訳してるのだけど。

たぶん、キズナとかつながりとかいうけど、そんなにがんばって返事しなくていいってことなのかもなあと、今の状態を見ながら思う。

なぜなら、そんなに困っていないからだ。

相手の反応を見て、返事をやめてしまうような間柄なら、

左手で無理してレスを書かなくたっていいじゃんか。

返事をしたくてもできなかったのよってことがわかる相手なら、急いでレスしなくても、レスが遅れたぐらいで関係が変わったりはしないもん。

そんなふうにやり取りできる人って、たくさんではないしね。

たくさんでなくてもいいしね。

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いま、ここ、なんです

患者であるわたしは、主治医の一言にうろたえたり、舞いあがったり、さながらジェットコースターに乗った気分で、日々を過ごさないといけないこともある。

年明けに、治療目的の入院が決まり、何をするかの方向性が決まり、

主治医とはそれにむけての話をしんみりできて、ようやくひと心地でき、穏やかな気持ちで年越し、新年も迎えられそうだ。

そんなんで、思い返してみても、わたしの場合、とっくに死んでてもおかしくない状態が何度かあったので、まったくもって、

いまここに生きてることが、奇跡。なのだなあ、と思う次第。

いまは右腕がまったく動かなくなってしまって、左手だけでキーボードを打っているのだけど、正直むっちゃ大変。ユニバーサルデザインの観点からもアイフォーンのほうがはるかにすぐれている。

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興味本位でブログをチェックすると、わたしと似たような状況の患者さんが闘病記を綴っておられるのもあるし、中には既にお亡くなりになっていて、ご家族がたまに更新しているのもある。

それで本を出した人もあり、「ネタになるんだ、ふううん」と思ったり。たぶん、わたしもそれをしたら、アクセス数ものびるだろう。

アクセス数が増えるのって、まあ、ちょっとはうれしいだろうけど、それでわたしの病気がよくなるわけでもないし、たいして役に立たない気がするので、

わたしはしたくないなと、思っている。

なぜか。わたしは自分の病状を客観視したくないんだと思う。

実は、これまでも医者でも予測できない状況が何度もあって、

で、その都度「あ、こうなりましたね、じゃあこうしましょう」的な治療をやっているときに、

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«やっぱりコワイ